2016年8月9日火曜日

日本人と自動車

日本経済の根幹を支えているのが自動車産業ですが、この自動車というモノは非常に特殊なものです。

それは特に最高の付加価値があるというものではないけれど、一定の技術水準とコスト戦略、マーケティング戦略、チームワークが常に求められ、しかも先進国間の競争になるからです。

日本人の場合、手先が器用、世界中からの資源の調達能力、インテグラル化したアーキテクチャーの生産に適した町工場制、そして何より能力に関係なくすべての人が「日本語」が通じるという条件がそろっているので、ある程度の高水準なモノを大量生産可能にできるのです。

アメリカの場合、先進国の中に途上国が内包しているような構造を持つ国です。
所得格差が大きく、上位と下位では言葉も通じなければ、価値観も違うし、住む世界も全く異なっている社会です。

実体験に基づく、例をあげると、アメリカのマグロ加工の工場で、従業員にまぐろの赤身を見せて、「これが何かわかるか?」と質問をすると、ほとんどが「牛肉」と回答する始末。つまり、マグロ赤身なんて高級食材を食べたことないだろうし、作業現場は何かよくわからないで、命令されたどおりの作業を行っているだけなんです。
しかし、モジューラー型の製品であれば、要求される仕事は単純。
「牛肉」って答えた瞬間、上司もあれこれどうのと教育するレベルではなくなるはずです。
しかし、驚くことはアメリカという国はこんな作業レベルなのに、世界一のGDP水準を維持できていることです。

言い換えれば、アメリカという国は能力が低くても仕事ができる環境が存在しているというポジティブに見ることもできるのです。(こうして見ると、日本企業はレベルが高すぎて、言葉すら通じない下位層に仕事を提供できるレベルではありません。)
さらに、そういった企業は何でも採用するので、さまざまな情報も持っていたりします。

話を元に戻すと、格差社会がアメリカの自動車産業にむかない構造にしていったと同様に、日本もいつまでも主力産業が「自動車」というわけにはいかなくなるかもしれません。

それほど、所得格差が牽引する能力格差は深刻なのです。