2016年11月1日火曜日

本試験の漏えい問題(2015)

一昨年、国家試験問題の漏えいがあった明大教授に有罪判決がありましたが、これはこの教授だけでなく、明大にも大きく影響を及ぼす状況になります。
これはかつて早大も経験しました。

 昭和時代の経済成長期頃だと、東大の通常の講義でやっているようなものがそのまま本試験に出題されたこともあったとも言われているので、試験委員発表後はその教員の講義に潜りの学生も多かったと聞きます。
(当時だと、やはり暗記能力が重要視されていた時代なので、現在のようなロジックを読み取ったり、論点を抽出したりする作業は低かったとも言えますが、)


 
 時代は変わって、どんなことがあっても本試験の問題が漏えい(つい誤って、教授が口をすべられた?)することはなくなり、予備校でいくら試験委員対策を行っていても、論点自体は当たっても、問題そのものが的中することはないです。
 問題が的中するかどうかは、その担当の講師の過去問分析や話題なっているテーマ、将来的に必要とされる思考などからおおよそ判断は可能です。

 私自身、試験委員その人に経済学を教わっていてその様子を見てきました。その教授は常に本試験が入った金庫を持ち歩き、絶対にそこに書かれた文言1つでも発しないと気合十分だったので、試験委員のプレッシャーは間近に感じていたものです。


 現在の本試験で求めれている能力が、「事前にその論点の解答の知識があったかどうか」という受験生間の知識量の差異をみるものではなく、試験会場での処理能力を試される方向へと移行しています。
 言い換えれば、多少の知識量の差があっても、それを試験当日の人物性や文章などのプレゼン能力、経済や数的の算術的処理能力、ロジックを読み取り問題提起できる能力などで、知識の差を十分に凌駕できるような形式へとなっていくと思われます。

 もちろん、明確な解答が出にくい論点をどのように回答するかというものも考査していくようになっていきます。
(これは日本だけでなく、主要先進国共通のグローバル人材における能力の判断基準として)
 そういった背景から予備校のあり方や大学での指導法が変化している期間です。

 今回の国家試験漏えい問題でますますそのことを自覚させられたと考えます。